東京電鉄→京急230ダルマ急行→京急大師線とつながって今度は川崎市電の昔写真です。川崎に市電があったのを知ってる人ってのも爺婆ですね。訪問は昭和38年の6月ごろ、おっと60年前だァ!
(1)起点は川崎駅前、地上を走っていた京急の横に始発電停がありました。看板や怪しげな屋台が昭和ですね。
そして下写真の日本鋼管前からの専用軌道が、線路フェチ鉄ガキCedarにはたまらなく楽しい区間で、終点塩浜まで運転台の後ろにかじりついていました。
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そして下写真の日本鋼管前からの専用軌道が、線路フェチ鉄ガキCedarにはたまらなく楽しい区間で、終点塩浜まで運転台の後ろにかじりついていました。
浜川崎から日本鋼管の構内を抜けてきた貨物線が市電の線路に合流するんです。おりしもC11の牽く貨物列車がやってきました。
このあとは市電運転台横からの線路写真で、車輌は殆ど出てきませんのであしからず。
(3)複線の市電線路に合流する貨物線も複線扱い、(2)のC11もこの渡り線を通ったわけですね。デュアルゲージ分岐器をまじまじと見たのはこの時初めてでした。
いっぽう標準軌側の分岐はシンプルな造りです。
(4)線路脇のBAR BOAT、なんかめちゃくちゃ怪しそう~なんて小学生が思ったはずありません。
このあとは市電運転台横からの線路写真で、車輌は殆ど出てきませんのであしからず。
いっぽう標準軌側の分岐はシンプルな造りです。
途中の桜橋電停、線路や架線鉄柱の佇まいは路面電車というより高速電車みたいです。高圧線併設の鉄柱のデザインも京急大師線と同じです。
(5)注目していただきたいのは写ってる人たち!服装やポーズが高度成長前期の京浜工業地帯らしさ満載、当時の映画のワンシーンみたいです。
産業道路沿いのがらんとした工場地帯を行く線路は、沿線もなかなかワイルドな雰囲気、線路敷に堂々と干された洗濯物はどこの誰のものでしょうか?
(6)
(7)大きな工場(今はコストコ川崎店になってます)が遮られるように広がる池上新田からは単線に、貨物線は(6)の分岐でひと足先に単線になってるのはなにか理由があるんでしょうねぇ。ちなみに正面の道路にはトロリーバスが走っていて、物々しい架線交差フログがありました。
単線区間の荒涼とした沿線風景は、60年経った今でも強烈な記憶として残ってます。
大人になって「スワロウテイル」などのディストピア的近未来SF映画など観るたびに、この沿線風景を思い出したりして〜
(8)原っぱに聳え立つプラント、送電線。掘建小屋に未舗装の道。子供心に「すげ〜景色だ」って思いつつ運転台横にかぶりついてました。
そして近未来的(爆)な風景もここで終点、塩浜はこんな場所でした。
(10)右のホームは京急大師線の折り返しホーム。市電と京急の線路は途切れて貨物線だけが繋がってます。架線鉄柱の配置が元は直通だったんだと物語ってますね(昭和27年まで塩浜~桜本間は京急大師線だったんです)。
そして、線路フェチらしく間近で見られたデュアルゲージ分岐の写真撮りました。京急の電車がやってきてゾワゾワと切り替わると、鬼線路フェチ予備軍 Cedarの気持ちもゾワゾワでした。
(11)今見ると踏切を渡ってくトラックのカタチもゾワゾワしますね。
そしてオマケ画像はこちら、
塩浜から乗った京急大師線電車は230(290だったかも?)+140の2連でした。
(12)川崎大師で一旦下車して、デュアルゲージ終点の分岐と一緒に1枚。
先頭に出ている140に出逢ったのは後にも先にもこの時だけでした。
(13)このお電車もいつかOゲージで模型を!と思ってますが、その話は別の機会に。
塩浜から乗った京急大師線電車は230(290だったかも?)+140の2連でした。
先頭に出ている140に出逢ったのは後にも先にもこの時だけでした。
川崎市電は国鉄の貨物線や塩浜操車場建設に伴い路線短縮→廃止、京急も小島新田までに短縮され、ガキ鉄Cedarに強烈な印象を残した沿線風景も、高度成長の波に呑まれ消えてしまいました。
ではまた。
この記事へのコメント
思い出せない・・・
貨物(国鉄?)との併用だったんですね。
Cedar
もともと貨物線の方が先にあって、そこに戦後電車を通したみたいです。工業地帯ならではですね。
OER3001
興味を持ってみていませんでした(涙)。
貴重な記録を見せて頂きありがとうございます。
ところで貨物線、牽引機は何だったのでしょう? 架線電圧は600Vですよね。だとすれば電機? いや蒸機だったのかな? まさかディーゼル機、DD11とか?
モハメイドペーパー
昭和39年1月に大師線で塩浜まで行き、市電に乗り換えて川崎に戻っています。市電の写真も撮っていますが途中の記憶がまったくない。Cタンクの蒸機が写っているコマは恐らく日本鋼管の専用線なのでしょう。予備知識もなく3線区間はまったく眼中になしでした。
Cedar
電車より沿線風景の変化が面白い路線でしたね。
貨物線の牽引機ですが(2)のように C11でした。
このころ既に塩浜まで貨物線電化が進められて(3)には電化別線工事中の様子が写ってます。別線用地の無い所は市電を単線化。単線区間は市電廃止して貨物線に転用したようです。大師線直通貨物はDD13になったのでは?
Cedar
浜川崎から市電に繋がる貨物線はNKKの構内を通過して(2)の場所に出てきてました。
件の劇場は大学生のころ、一度入ったことあるような。
シグ鉄
のちに堀の内と並ぶソープ街になりましたが…
となれば、性病科、産婦人科、旅館の広告にも納得です。
しかし、凄い写真の数々ですねぇ…
Cedar
南町はなぜか縁が無かったです。小学生が垣間見た川崎、しかも産業道路沿いは、なかなか剣呑な雰囲気で、釜ヶ崎でも山谷でもビビらない父が(5)な桜橋で降りたい、と言ったら「やめとこ」と言いました。
Cedar
ありがとうございます
風旅記
鶴見線や南武線支線の雰囲気に惹かれ、浜川崎を中心によく歩いたりしています。
東海道貨物線沿いに塩浜(川崎貨物)まで高架線を眺めたり、神奈川臨海鉄道の線路沿いを歩いたり、訪ねる程に川崎市電のことが気になっていました。
貴重なお写真を拝見でき、今の様子と重ねて往時を想像しています。
私が知っている短い期間でも、工場の移転が進み、倉庫などに変わったり空地のまま残ったり、一体の雰囲気が変わっていったことを実感します。
他の方へのコメントも拝読しましたが、工場が煙を出し騒音を響かせていた頃には、きっと、他所者がカメラ片手に呑気に歩けるような土地でもなかったのかなと想像しています。
このエリアへの興味は尽きないのですが、川崎市電の往時の写真はなかなか見かけることも少なく、とても貴重な機会になりました。
Cedar
古い記事にコメントありがとうございます。
この沿線はホントに何もかも激変してしまいましたね。しいて面影を探すなら桜橋(地名は桜本)あたりのちょいと怖い街が、焼肉や沖縄料理の店のグルメガイドに登場してることくらいですかね~もともとそういう店(あくまで地元向けの)がありましたから~
風旅記
お返事いただきありがとうございます。
“怖い街”と聞いて思い浮かぶ土地も、長い時間をかけて変わってきたところが数知れずあるかと思います。
個人的には正直、身をもってそのような感覚を覚えたことがなく、きっと近づくこともないままに時代の方が変わったのだろうと思っています。
鶴見線や、今の川崎貨物に至る東海道貨物線のある一帯、工場が建ち並び賑やかに動いていた当時の写真は少ないように思います。
川崎市電や多くの専用線も含め、貨物が盛んに行き来していた頃をもっと見たいと思うのですが、その土地にまつわる背景や空気感のようなものを知るほどに、今となっては知りようのない世界だったようにも感じています。
貴重なお写真を拝見できましたこと、お礼申し上げます。
kk-kiyo
Cedar
コメントありがとうございます
(8)は池上中門~入江崎間のカーブに間違いありません。水江町方面?への分岐もあったと記憶していますがそれ以上の詳細は知りません。何しろこのころはまだ小学生でしたので、ただただ周囲のスゴイ景色に圧倒されていました。
探訪記事楽しみに拝見いたします。
kk-kiyo
kk-kiyo
明けましておめでとうございます。早速ですが、本日アップの私のブログ(ローカル線の回顧録 号外2026.01.04)に貴ブログ(昭和38年6月、川崎市電前面展望)のURLをリンクさせて頂きました。事後報告となり申し訳ございませんでした。なにとぞ宜しくお願い致します。また、川崎市電の池上中門付近から水江方面へ分岐する貨物線の存在については、これを立証する証拠写真(昭和38年撮影の国土地理院航空写真)を見つけました。追ってブログで報告させていただきます。今後とも宜しくお願い致します。
Cedar
明けましておめでとうございます。ブログ拝読しました。詳細な現地踏査お疲れ様でした。何しろ小学生の頃の記憶ですし、もともとムード派なので3線分岐伊以外はシーンBYシーンの記憶しかありません。
お役にたてたならよかったです。